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第11回 解説記事:テーマ「次世代エネルギーとしての水素の役割と課題」
第7次エネルギー基本計画(以下、第7次エネ基)では、水素をGX(グリーン・トランスフォーメーション)の推進やセクターカップリングの中核を担う次世代エネルギーとして位置付け、電力分野にとどまらず、産業・運輸・熱利用など幅広い分野での活用を進める方針が示されています。
一方、水素には、供給コスト、インフラ整備、需要創出などの課題があります。本稿では、第7次エネ基における水素の位置付けを整理するとともに、その役割と社会実装に向けた課題、今後の論点を解説します。
1.日本の水素に関する戦略
図1に示すように、日本は2017年12月に世界で初めての水素基本戦略を策定しました。現在では、EU、ドイツ、オランダなど25カ国以上が水素の国家戦略を策定するなど、国際的な取組が加速し、各国で水素関連政策の強化が進んでいます。
2020年の菅首相(当時)のカーボンニュートラル宣言を受け、第6次エネルギー基本計画において、電源構成の約1%を水素・アンモニアとする目標を初めて明記しました。2023年には、6年ぶりに水素基本戦略を改定し、技術の確立を主としたものから、商用段階を見据え、産業戦略と保安戦略を新たに位置づけました。その後、2024年に水素社会推進法が成立し、低炭素水素等の導入拡大に向けた規制・支援一体的な制度を講じていくこととなりました。
![]() 図1 日本の水素戦略等の推移
出典:資源エネルギー庁,「水素を取り巻く国内外情勢と水素政策の現状について」」, 2024.9 |
2.第7次エネルギー基本計画における水素の位置付け
(1)「エネルギーキャリア」としての水素
第7次エネ基は、水素を単なる燃料の一種としてではなく、エネルギーシステム全体を統合する「エネルギーキャリア」として定義しています。エネルギーキャリアとは、一次エネルギーを別の形態に変換して貯蔵・輸送・利用する媒体を指します。水素は国内の再エネ由来電力だけでなく、海外の安価な再エネや化石燃料+CCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage)からも製造され、産業・運輸・熱利用といった非電力分野でも利用できるため、電力部門と非電力部門を橋渡しする役割を担います。
この位置付けの背景には、2050年カーボンニュートラル実現に向けた3つの課題があります。第一は、電化による脱炭素化の限界です。技術的・経済的な制約により、電化が困難な領域が存在します。第二は、再エネの変動性への対応です。太陽光・風力の大量導入は、時間的・季節的な需給ギャップを生み出し、長期的なエネルギー貯蔵手段が必要となります。第三は、エネルギー安全保障です。供給源と燃料形態の多様化により、地政学的リスクを分散する必要があります。水素は、これら3つの課題に対応できる特性を持つエネルギーキャリアとして期待されています。
(2)GX推進における水素の役割
GXとは、化石燃料中心の産業構造・社会システムを、クリーンエネルギー中心へ転換する取り組みを指します。第7次エネ基では、水素をGX推進の中核を担う技術の一つと位置付けています。具体的には、水素は以下の3つの局面でGXに寄与します。
第一は、既存産業の脱炭素化です。CO2多排出産業において製造プロセスそのものを転換する手段となります。第二は、新産業の創出です。水素製造、輸送、貯蔵、利用に関わる技術・サービス産業が育成され、経済成長と脱炭素化を両立させる可能性があります。第三は、国際競争力の強化です。世界的に水素関連投資が拡大する中、日本が技術的優位性を確保することは、将来の輸出産業育成にもつながります。
(3)セクターカップリングの要としての水素
セクターカップリングとは、電力、熱、運輸、産業といった複数のエネルギー消費部門を統合的に最適化する概念です。従来、これらの部門は独立して運営されてきましたが、脱炭素化を進める上では部門間の連携が不可欠となります。
水素はこのセクターカップリングの「要」となります。図2に示すように、再エネ余剰電力で水素を製造し(電力部門)、これを産業の原料や運輸の燃料として利用する(発電・輸送・産業・民生部門など)ことで、部門を越えたエネルギーの融通が可能となります。第7次エネ基は、こうした部門横断的な最適化により、エネルギーシステム全体の効率性と柔軟性を高める方針を示しています。
![]() 図2 水素によるセクターカップリングの概念
出典:資源エネルギー庁,「水素を取り巻く国内外情勢と水素政策の現状について」, 2024.9 |
3.水素が担う4つの役割
2章で示した水素の概念的位置付けを踏まえ、本章では水素が具体的にどの分野でどのような役割を担うのかを解説します。
(1)電化困難分野の脱炭素手段
水素の最も重要な役割は、電化が技術的・経済的に困難な分野における脱炭素化の実現です。産業分野では、鉄鋼業が代表例となります。従来の高炉法では、鉄鉱石をコークス(石炭)で還元し鉄を取り出しますが、この過程で大量のCO2が発生します。水素還元製鉄では、コークスを水素に置き換えることで、副生成物を水のみとし、プロセス由来のCO2排出を理論上ゼロとすることが可能です。化学産業においても、アンモニアやメタノールの製造に水素は不可欠であり、化石燃料由来から再エネ由来への転換が進められています。
運輸分野では、乗用車の電動化が進む一方、大型トラック、船舶、航空機といった長距離・大型輸送では、エネルギー密度や航続距離の制約から、蓄電池によるBEVでの対応に限界があります。水素由来の合成燃料(e-fuel)を含む水素関連燃料は、これらの分野における現実的な脱炭素手段として期待されています。
熱利用分野でも、産業用高温熱(例:ガラス溶融、金属加工)や地域暖房などで、水素が化石燃料の代替となる可能性があります。
(2)再エネの変動性吸収と長期エネルギー貯蔵
再エネの主力電源化が進むにつれ、出力変動への対応が重要な課題となります。蓄電池は数時間から数日程度の短周期調整には有効ですが、季節間のような長周期変動には対応できません。水素は、再エネ余剰時に電力を用いて製造し、数週間から数ヶ月単位で貯蔵できるため、季節間調整の手段となる可能性があります。例えば、太陽光発電が豊富な春から夏に製造した水素を、暖房需要が高まる冬季に利用することで、年間を通じた需給バランスの最適化が可能となります。また、再エネ出力制御が常態化している地域では、余剰電力を水素に変換することで、再エネの有効活用と事業者収益の向上が期待できます。
(3)水素による発電
水素はアンモニアとともに既存の火力発電所における混焼・専焼により、発電燃料としても利用できます。これにより、火力発電が担ってきた調整力(需給変動への追従)と供給力(安定的な発電容量)を維持しながら、脱炭素化を進めるトランジション戦略が可能となります。
特に、再エネ出力が低下する時間帯や、需要が急増する場面において、水素・アンモニア火力は調整電源としての役割が期待されます。ただし、水素を発電に用いる場合、エネルギー変換効率の観点からは産業・運輸での直接利用に比べて効率が低下するため、電力システム全体の最適化の中で慎重に位置付ける必要があります。
(4)エネルギー安全保障の強化
日本はエネルギー自給率が15.3%(2023年度)と低く、化石燃料の大部分を輸入に依存しています。水素においても当面は海外からの調達が中心となりますが、調達先の多様化によりリスクを分散できます。オーストラリア(褐炭由来水素)、中東(天然ガス由来水素)、北米(再エネ由来水素)など、複数地域からの調達に加え、液化水素、アンモニア、有機ハイドライド(メチルシクロヘキサン等)といった多様な輸送形態を確保することで、特定ルートへの依存を回避できます。また、国内でも再エネ由来の水素製造を拡大することで、中長期的にはエネルギー自給率向上に寄与することが期待されます。
4.社会実装に向けた3つの課題
水素の社会実装に向けては、以下に示す3つの課題に対する取り組みが求められています。
(1)供給コストの高さと経済性の確保
水素の最大の課題はコストです。グリーン水素(再エネ電力による水電解)の製造コストは現在、1Nm³あたり100円程度と推計されており、化石燃料由来のグレー水素(30〜40円程度)と比較して3〜4倍高くなっています。さらに、輸送(液化・圧縮、パイプライン)、貯蔵、利用設備のコストを加えると、エンドユーザー価格はさらに上昇します。
コスト低減には、複数のアプローチが必要となります。第一に技術革新による製造コストの削減です。水電解装置の効率向上や大型化、再エネ電力コストの低下により、図3に示すように、2030年には30円/Nm³程度、2050年には20円/Nm³程度への低減が目標とされています。第二にスケールメリットの追求です。需要規模の拡大により、製造・輸送・貯蔵の各段階においてコスト低減が見込まれます。第三に政策支援です。初期需要を創出するための補助制度、水素社会推進法に基づく価格差に着目した支援、炭素価格制度による化石燃料との価格差縮小、長期契約による投資リスク軽減などが検討されています。ただし、公的支援への過度な依存は市場の持続可能性を損なう可能性があります。技術革新と市場拡大による自律的なコスト低減を促しつつ、支援を段階的に縮小していく「出口戦略」の設計が重要となります。
![]() 図3 水素等の導入量およびコストの目標
出典:資源エネルギー庁,「水素を取り巻く国内外情勢と水素政策の現状について」, 2024.9 |
(2)インフラ整備における課題
水素社会の実現には、図4に示すように、製造、輸送・貯蔵、利用の各段階で大規模なインフラ整備が必要となります。製造設備(水電解装置、改質装置)、輸送インフラ(パイプライン、液化設備、運搬船)、貯蔵設備(地下貯蔵、タンク)、利用設備(燃料電池、水素ステーション、専焼ボイラー等)の整備には、数兆円規模の投資が見込まれます。しかし、需要が不透明な段階でのインフラ先行投資は、事業者にとって大きなリスクとなります。一方、インフラがなければ需要も立ち上がらないという「鶏と卵」の問題が存在します。
この問題への対応として、第7次エネ基では段階的・集中的なインフラ整備の方針が示されています。具体的には、製鉄所や化学プラントが集積する臨海工業地帯など、特定地域に製造・供給インフラを集中整備し、複数の需要家が共同利用する「水素ハブ」の形成が進められています。既存のLNG基地や大規模発電所、製鉄所が隣接する臨海エリアにおいて、共通のパイプラインや貯蔵設備を整備し、投資リスクを分散するモデルが想定されています。また、既存インフラ(天然ガスパイプライン、LNG受入基地等)の転用・活用により、投資効率を高める取り組みも重要となります。
![]() 図4 水素インフラ整備(製造、輸送・貯蔵、利用)のイメージ
出典:資源エネルギー庁,「水素・アンモニアを取り巻く現状と今後の検討の方向性」, 2022.3 |
(3)需要創出と制度・市場設計
水素需要の立ち上がりには不確実性が伴います。産業部門では、既存設備の耐用年数や投資回収期間を考慮すると、水素利用設備への転換は段階的にならざるを得ません。運輸部門でも、燃料電池車や水素ステーションの普及速度は、コストや利便性に大きく左右されます。
需要創出を支える制度・市場設計には、以下の課題があります。
- 低炭素水素の定義と認証制度:製造時のCO2排出量基準、ライフサイクル評価の方法、国際的な相互承認など、統一的な基準の確立が必要です。特に、製造過程のCO2排出量に基づいた炭素集約度(Carbon Intensity: CI値)による評価は国際的な潮流となっており、日本がリーダーシップを発揮して国際基準との調和を図ることが、将来の水素貿易における不可欠な条件となります。
- 支援制度の予見性:補助金や税制優遇の期間・水準が不透明では、長期的な投資判断ができません。10〜20年程度の中長期的な支援方針の明示が求められます。
- 市場取引ルール:水素の需給調整、価格形成、品質管理、供給義務などを規定する市場ルールの整備が必要です。電力市場やガス市場との接続も視野に入れた制度設計が課題となります。
- 規制・基準の整備:水素の製造、輸送、貯蔵、利用に関する安全基準や技術基準の整備・国際調和が必要です。
5.水素社会の実現に向けた3つの視点
水素社会の実現に向けては、以下に示す3つの視点が重要になると考えられます。
(1)優先分野の明確化と「適材適所」の原則
2050年のカーボンニュートラルに向けて、水素は万能な解決策ではありません。電化や既存技術で対応可能な分野にまで水素利用を拡大することは、限られた資源(予算、人材、時間)の非効率な配分となります。第7次エネ基が示すように、水素の優先分野は以下の3分野が中心となります。
- 産業分野:高温熱需要、化学原料(特に電化が困難な分野)
- 運輸分野:長距離・大型輸送(トラック、船舶、航空)
- 電力分野:長期エネルギー貯蔵、調整電源(トランジション期)
これらの分野に集中的にリソースを投入し、段階的に成果を積み上げていく「適材適所」のアプローチが不可欠です。
(2)段階的導入戦略とクラスター形成
需要と供給を同時に立ち上げる困難を回避するため、以下のような段階的導入戦略が有効です。
第1段階(2020年代後半):産業クラスターでの集中導入
製鉄所、化学プラント、発電所などが集積する臨海工業地帯において、水素製造・供給インフラを集中整備し、複数需要家が共同利用する「水素産業ハブ」を形成します。これにより、初期需要を確保しつつインフラ投資効率を高めます。
第2段階(2030年代):地域間ネットワークの構築
複数の産業ハブを結ぶパイプラインや輸送網を整備し、地域間での水素融通を可能にします。また、運輸分野での利用拡大(商用車、船舶等)を進め、需要基盤を拡大します。
第3段階(2040年代以降):全国規模での普及
全国的な水素供給ネットワークを構築し、産業・運輸・熱利用の各分野で水素が選択肢の一つとして定着します。国際的な水素貿易も本格化し、市場が成熟します。
(3)政策の一貫性と国際協調
水素関連投資は長期・大規模であり、政策の頻繁な変更は投資判断を困難にします。低炭素水素の定義、認証基準、支援制度の期間・水準について、10〜20年程度の中長期的な方針を明示し、政策の一貫性と予見性を確保することが、民間投資を呼び込む鍵となります。
水素は国際的に取引される商品となる可能性が高く、各国で基準や制度が異なると、貿易障壁や非効率が生じます。低炭素水素の定義・認証、安全基準、輸送規格などについて、国際的な調和を図ることが重要です。日本は、国際エネルギー機関(IEA)や国際再生可能エネルギー機関(IRENA)などの場で、積極的に議論をリードしていく必要があります。
6.まとめ:現実的な期待と着実な前進
第7次エネ基が示す水素の役割は、決して短期的な「主力エネルギー」ではなく、2050年カーボンニュートラルに向けた中長期的な重要な選択肢の一つです。電化や再エネ、蓄電池、需要側対策など、既存の脱炭素手段と組み合わせながら、電化が困難な分野に集中的に活用していくことが現実的なアプローチとなります。
水素社会の実現には、技術革新、コスト低減、インフラ整備、制度設計、需要創出といった多面的な課題を、段階的かつ統合的に解決していく必要があります。第7次エネ基は、こうした課題を認識した上で、GX推進とセクターカップリングの中核として水素を位置付けており、今後の政策展開と産業界の取り組みが注目されます。
2030年代の本格普及を見据えた場合、2020年代後半の今この時期が、産業クラスター形成やインフラ投資判断といった「基盤づくり」の重要な局面となります。官民が連携し、現実的な期待のもとで着実に前進していくことが、持続可能なエネルギーシステムの構築につながります。
3月解説記事のご案内
3月号では、「第7次エネ基の実行に向けた課題と今後の論点」と題して、1年間を通じた解説を総括し、第7次エネ基を「計画から実行」へ移す上での課題と論点を整理する予定です。



